※この小冊子にはネタバレが含まれる場合があります。試し読みの際はお気を付けください。




『ez?』 サイコホラー編・二ノ瀬隼人

「おはよう伴星さん」
「おはよう。……ねぇ、顔色が悪いけど大丈夫?」

登校で家まで迎えに来てくれた二ノ瀬君を見て最初に感じたのは、嬉しさではなく不安だった。事件を捜査していた頃も寝不足でこんな風になっていた事はあったけれどあの時には無かった言い知れない不安が胸をざわつかせる。死の気配……ノイズは見えないが、あまり良くない状態なのは医学部志望じゃなくてもよくわかる。

「あはは……確かにちょっと根を詰めすぎちゃったかもだけど、ずっと続くわけじゃないから大丈夫だよ」
「それってどれくらいの期間をさしてるの?」
「次の模試まで。今は基礎を徹底的にやり直してるところなんだ。だからこれで結果が出れば、少しペースを落とせるよ」

彼の言う模試は予備校が独自に行っている隔月のテストだ。大学の出題範囲ではなく今現在の習ったところまでの理解度を確認し、その成長曲線から将来志望の大学に合格できるレベルに達するかどうかを判定するものらしい。

「本当ね? もっといい結果を出そうとか欲を出したりしないわよね?」
「無理するのは今だけだよ。医者の不養生なんて患者さんに示しがつかないしその辺の線引きはしっかりするつもり」
「だと良いんだけど……」

次のテストまではまだ半月もある。こんなに顔色が悪いのに、それを2週間以上も続けるなんて気が気じゃなかった。だけど彼の目標に口を出す事は出来ないししたくない。私とは比べ物にならない程辛い過去を持つ彼が必死で前に進もうとしているのだ。私に出来るのは辛い時支えになる事とそれ以外の時は応援する位だ。だから、

「頑張ってね」

そう言って頬にそっとキスをした。

「……良い結果が出たら今度は口にしてあげるから」
「! うん、頑張る! ははっ、伴星さんのおかげで72時間働けそうだよ!」
「古いうえに体を壊すから絶対やめてね?」
「冗談だって。でもそっか。君からしてくれるなんて嬉しいなー。いつも俺からだし、親子みたいな触れるだけのキスだし、ご褒美ならもっと濃厚なの期待しちゃっていいよね?」
「か、考えておくわ」

言ってしまった以上撤回は出来ない。そしてこういう時の二ノ瀬君はめっぽう強くどんな困難でも乗り越えてしまう力がある。濃厚なキスなんてしたことが無いしやり方もわからないのだがその日が来たら腹をくくって受け入れよう。いや、こちらからするのに受け入れるはおかしい。死ぬ気で突っ込もう。そう心に決めるのだった。


『memory』 サイコホラー編・間宮仁章

死ぬ運命にあると思って未来について何も考えてこなかった私に無数の選択肢を与えてくれたのは間宮君だった。それは単純に死の運命を乗り越えたという意味ではない。彼に恋をして相手も同じ気持ちだったという幸せ、そしてこの先無限に続いていく彼との未来への期待。それらが私を前向きにさせ、日常を取り戻すのではなく幸せな未来を新しく造ろうと決意させたのだ。
過去に固執するのではなく新しい何かを手に入れる為、私は彼の勧め通り南青瀬大学に進学した。そして今は自分の可能性について探る、遅れて来た『自分探し』の日々だ。普通の子が義務教育中に終えるだろうこの青すぎる葛藤に私は今四苦八苦している。



「おい、そんな難しい顔をしてどうした? さっきの講義がそんなに大変だったのか? 俺で良ければいくらでも教えるが――」

大学のお昼休み、食堂で向かいに座った間宮君が心配そうな顔をする。

「そうじゃないの。ううん、確かにさっきの講義も難しかったけど……」

大学に入ってまだ三カ月も経っていない。高校とは違う学習体系に慣れるのには時間がかかる。ここでつまずけばそのまま落第もありえなくはない。だから今は目の前の問題だけを考えるべきなのだが……

「自分で何とかしないといけない問題だから大丈夫」
「そうか? だが困った時はきちんと誰かを頼るんだぞ。俺じゃなくてもいい。だが、他のやつらと違って俺は二十四時間対応受付中でお勧めだ」
「ふふっ、ありがとう。本当にどうしようもなくなったら頼らせてもらうわ」

大学に入って間宮君は変わった。以前は「気の合う奴と巡り合えれば付き合うし、いなければ別に一人でも良い」というスタンスだったが、今は二ノ瀬君ほどではないにせよ積極的に人と関わるようになった。そして、その影響なのかこういった冗談も言うようになった。
対する私はというと、確かに将来について前向きに考えるようにはなったものの、頭の中は間宮君でいっぱいだ。そして彼に心配される程悩んでいたのも他ではない間宮君のことだった。
間宮君と付き合うことになったと両親に報告し、月に何度か互いの家を行き来するようになったある日の事、母がこんなことを言ったのだ。

「仁章君のお母さんと話してたんだけど、大学に入ったら一人暮らしをする予定なんですってね」
「ええ、独り立ちの一環としてそうするつもりです。家事はそれなりにやってきましたがお金まわりは家にいると学ぶ機会が無いですし、生活費や税金で頭を悩ませるのもいい経験かと」
「本当にそれだけ?」
「それだけ、とは?」
「だって、一人暮らしならうちの子と好きなだけいられるじゃない」
「確かにそうですがちゃんと遅くなる前には帰ってもらいますし、他人に言えないような事をするつもりはありません」
「ま、間宮君!?」
「ふふっ、そういう事を大真面目に言えちゃうのがあなたの良い所よね。あなたのお母さんも同じこと言ってたわ。「うちの仁章は本気でそれが正しいと思ってるから何もしないと思う」って。でもね、そこから一歩踏み出す時が必ず来るのよ。少なくとも私は一歩踏み出したからこそこの子がいるわけだし、あなたにもその一歩が必要だと思うの」
「お、お母さん!?」
「俺は結婚前にそういう事をするつもりはありませんし、結婚だって就職して生活が安定するまでするつもりはありませんよ」
「でしょうね。だから「このままだと孫を見ることなく終わるかもね」って話してたのよ。特にあなた達はお互いが初めての恋人だし色々経験不足でしょ? だから独り立ちじゃなく人生経験のつもりで大学に合格したら二人で暮らしてみない?」
「そ、それは彼女と、ですか……?」
「ふふっ、当たり前でしょ。私と同棲でもするつもり?」
「いえ、そんな事は思いませんが……」


『YOLO』 サイコホラー編・鳴海誠一

大学3年生の夏、僕は少し悩んでいた。進路についてではない。家庭の問題についてでもない。僕の頭を悩ませているのは僕が未だに実家暮らしだということだ。僕は将来に向けてお金を貯める為実家暮らしの継続を選択したのだが、勉強とアルバイトに励む姿を見続けていた両親が一人暮らしをするなら生活費を一部支援すると言い出したのだ。その言葉に僕の心は揺れに揺れた。一人暮らしをすれば彼女を家に呼んで休日ずっと一緒にいられる。それどころか泊まりだってできるのだ。下心と言われてしまえばそれまでだが一人暮らしには夢があった。
だけど僕が実家暮らしを選択した一番の理由は貯金だ。社会に出て一人暮らしを始めた時に余裕が持てるよう貯められるだけ貯めておこうと決めたのだ。生活費を捻出するのがやっとで交際費まで余裕がありません、なんて格好の悪い事にはなりたくないし、部屋だって自分の好きなデザインで固めたい。何せ相手は僕より2年先を行っている。2年あれば社会に慣れ金銭的にも少しずつ余裕が出てくるだろう。そんな中で恋人が生活するのがやっとという生活臭丸出しの貧相な部屋に住んでいたら……彼女は気にしないだろうが僕は絶対に嫌だ。年の差は一生縮まらないのだし生活レベルくらいは合わせたい。



そんなこんなで僕は今日もアルバイトに勤しんでいる。もちろん勉強もNPOの活動も疎かにはしていない。だから今の生活に口出しされるいわれはないのだけれど……

「先生、今日顔色悪くない?」

僕が家庭教師をやっている高校生にそんな事を言われた。

「そうですか? 特に生活のリズムを変えたりはしてませんし気のせいじゃないですか?」

これはやせ我慢などではなく本当のことだ。変に頑張って体を壊すなんて格好の悪い事、僕がするわけない。人間的にも成長しなければ彼女との差は開く一方なのだから。だけど彼は納得せず僕の額に手を当てた。

「熱はなさそう……でも、なーんか顔が暗いというか死相が漂ってる気がするんだよなぁ……」
「失礼な。熱があったら欠勤してますよ。受験生にうつすリスクを冒してまで来るわけないでしょう。というか、死相ってなんですか。そこまでひどい生活を送っている覚えはありませんよ」
「うん、先生って良いとこのお坊ちゃんみたいな雰囲気あるし、実際良いもの食べてるよね。でも充実してる感じがしないんだ。お金があって食事も睡眠も取れてるとなると何が足りないんだろう。……あ、わかった! 彼女だ! 先生、忙しくても彼女は作ったほうがいいですよ」
「失礼な! 僕には中学時代からお付き合いしている恋人がいます。もちろん関係は良好です」
「じゃあ、最後に会ったのはいつ?」
「それは……」


『distance』 サイコホラー編・要邦孝

彼女が週末に泊まって帰るようになって半年が経つ。だが、自分以外の人間がいる朝に俺は未だ慣れずにいた。そもそもの原因は二十歳の誕生日、俺が誘惑に負けたことに起因する。成人を二十歳と勘違いしたことによって十八歳になったら付き合う約束をしてしまった俺は、苦し紛れに恋人らしい行為は二十歳までしないと宣言した。その結果18から20までの2年間は親しい友人程度の関係を維持できたものの、その反動で二十歳になった途端彼女がぐいぐいと押してくるようになったのだ。俺は必死に抵抗した。

「警官を目指すなら将来は先輩と後輩になる。そのとき節度を守った関係になっていないと働き辛くなる」

そう言ったりもしたのだが、彼女は、

「同じ部署に配属される可能性なんてほぼ0でしょう?」

と一蹴した。立派な心構えだ。自棄を起こしたり俺と一緒に居たくて警官を目指したのではなく、彼女は本気で自分の力を役立てようとしているのだ。それは素晴らしい。本当に真っすぐで心から応援したくなる。だが、建前という名のストッパーが無いのは大問題だった。俺は自宅で行った二十歳の誕生日祝い当日に一線を越えてしまった。その事を反省し以降はどれだけ迫られようと一切手を出していないのだが、彼女は週末になると遅くまで家に居座るようになり、最初は自宅まで送っていたもののいつしか泊まっていくのが恒例化していた。
そして今日も彼女の寝顔と共に朝を迎えた。もちろん同じ布団で寝ているだけだ。手は出していない。だから彼女を起さないようそっとベッドを抜け出ると俺は何事もなかったように――実際何もないのだが、片付いていない仕事の続きをしに署へ行く支度を始めた。



「おはようございます」
「おはよーさん。休日なのに呼び出して悪いな」
「いえ、これが仕事ですから」

俺は言葉の意図には反応せず、作りかけの書類を取り出した。だけど先輩はそれを許してはくれなかった。

「そうは言っても彼女が来てるんだろ? あまり邪険にすると愛想をつかして帰られるぞ」
「邪険にはしていません。ただの線引きです。その辺は付き合う時にきちんと話し合って了承済みなんで大丈夫ですよ」
「飲まなきゃ付き合えないってんなら飲むしかないだろ。もっと気持ちの方を考えてやれよ」
「振られたらその時はその時です。俺は今の付き合い方しか出来ませんしそれが辛いと言うならもっと幸せにしてくれる奴の所に行った方が良いでしょう」
「はぁ、お前恋愛は初めてじゃないよな。何であの子に対してだけそんななんだ? 一体何を恐れてる」
「何も。……いや、彼女が不幸にならないよう気を使っているというのが正しいかもしれません」
「不幸にねぇ……」

先輩は何か言いたげだったが、休日出勤で不機嫌そうな課長が入ってくるのを見て、のそのそと引き上げていった。俺はその事にほっとすると彼女の事は一度忘れ目の前の仕事にだけ集中する。


『sympathy』 サイコホラー編if・伴星隼

温暖化の影響で季節の境がどれだけ曖昧になろうとも、夏は必ず終わる。春先の真夏日も秋の熱帯夜もいずれは終わりを告げ、空気の匂いが変わり、温度が変わり、景色が変わっていく。
それと同じように私の日常も180度変わっていった。いや、元に戻ったというほうが正しいのかもしれない。普通に学校へ行き気の合うクラスメイトと交友を深め、テストの結果に一喜一憂したり翌日には忘れていそうな他愛のない会話を楽しんだり……私は2年前まで普通にあった日常を取り戻しつつあった。 だけど、そこに兄の姿だけが無い。私の日常を壊した張本人のくせに、再会したかと思えば元の生活には戻れないなどとのたまい引き止める間もなく姿を消してしまった。
生きているのは確かだが、それ以外は何一つわからない。生死という意味ではなく、思考も嗜好も、本当に何一つわからなくなってしまったのだ。
2年なんてこの先の長い人生の中ではほんの一瞬で、私達は昔のようにずっと一緒にいられると思っていた。産まれた時からずっと一緒にいた私の理解者。兄や家族という言葉だけでは言い表せない、強い絆と奇妙な関係の大切な人。その彼が何を思って私の元を去ったのか、どうしても理解する事が出来なかった。LINKERやORIGINについて水代先生から必死に学んだりもしたが、私は私であり生物学的分類が何であろうが生き方次第という結論しか出なかった。それは、兄とは違う答えだ。兄は今、私とは全く違う景色を見ている。それでも私は兄に会いたい。見えるものや感じ方が違っても、同じ時間を一緒に生きたいと思い続けていた。



半年後。私は高校3年生になり受験という大きな岐路の前にいた。間宮君は将来設計がしっかりしていて1年の時からずっと青瀬大を目標にしていたし、二ノ瀬君は悩みに悩んだ末人を助けられる医者になりたいと同じく青瀬大の医学部を志望することにした。そんな中で私だけが進むべき道に迷っている。最初は死の気配を感知できる特性を生かし警官になろうと思ったりもしたのだが、要さんから話を聞いている内にこれは違うと候補から消した。

「俺も人の役に立ちたくて警官になったクチだから説得力はないが、誰の役にも立たない仕事なんて無いんだぞ。だから自分のやりたいことが何なのかで考えてみろ」

そう言われたのだが、私にはやりたいことがない。強いていうなら「人間らしく生きる姿を兄に見せる」ことであり、どの職に就こうが自分が良しとすれば良いということになる。だが、それでは困る。兄を連れ戻せるだけの説得力のある生き方をしなければならないのだ。間違っても「遊びたい時に遊んで働きたいときに働くフリーターになりました」なんて選択は出来ない。かといって百人が百人認めるような人の役に立つ仕事に就いたとしてもあの頑固な兄の考えを変えられるような気はしなかった。


『moment』 仮想現実編・七杜神夜

自殺者の正体は鳴海君だった。そして色々大変な目には遭ったものの、私達は彼を温かく迎え歪な日常に帰ってきた。
皆でご飯を食べるようになってから1週間。5人で食卓を囲み「いただきます」をするとホッとする。だけどこの夕飯が皆で過ごす最後の時間だろうと確信めいた予感がしていた。誰もその事を口にしないが、いつもより笑って騒いで、一つ一つの瞬間を惜しんでいるように感じる。
だけど楽しい時間程あっという間に終わってしまう。テーブルに追加で並べたデザートが無くなると、二ノ瀬君がお礼にと後片付けを買って出て、鳴海君は間宮君に連行され自室へ戻り、要さんはソファーに寝転がり寝る態勢に入る。私はそれを邪魔しないよう二ノ瀬君に一言お礼を言って自分の部屋へ引き上げていった。



「よぉ、楽しそうだな」
「きゃ……むぐ!」
「叫ぶな。いい加減慣れろ」

部屋に入るなり七杜さんに声をかけられ悲鳴を上げる。このやり取りも今日が最後だ。そんな私の予想通り彼の用事は現実世界への帰還準備が整ったという連絡だった。
それは夢の終わり。この優しい世界に別れを告げ現実と向き合う時が来たのだ。トラウマを思い出させるタイミングは私が決める約束だった。1年くらいなら現実世界では誤差の範囲だし、しばらくここで暮らしても良いと言われ心が揺れるが、先延ばしは違う気がして今やってもらうことにした。
そして自分が他人の心を理解できないサイコパスであるが故にこの治験に参加したことを思い出す。

「心、ちゃんと理解できただろ? 誰かを想う気持ちも最後の夜を惜しむ気持ちも昔のお前には無かったものだ」
「そうですね……」

確かにこれは心だ。こんな胸の痛み、昔は無かった。

「ん、どうした? 帰らないのか? お前はもう自由なんだぞ?」
「……それなら、朝まで時間を貰えませんか?」
「なる程。確かに夜家を出るのは締りが悪いし、朝のほうがそれっぽいか。わかった。朝になって家を出たら覚醒するようセットしておく」

そう言って彼が目を閉じると世界が一瞬揺らぐのを感じた。

「これでよし。それじゃ、最後の夜を精々楽しめ。修学旅行の夜みたいなバカ騒ぎをしてもよし、好きな男と世界の余韻に浸るもよしだ」

彼は片腕を上げ壁の中へ消えていこうとする。私はその実体の消えかかった背中を慌てて掴んだ。

「ま、待ってください!」
「まだ何かあるのか?」
「私が欲しいのは……その……七杜さんの、時間です……」


あとがき

短いですし大したことは書いてませんので必要ないでしょう。