あかり「あ、あの……先輩?」
 
沢登「……ここなら人は来ないな。よし」
 
 
 
普段人の目を気にしない先輩が、こんなになるとは。
一体、なにがあったんだろう。
 
 
 
……その前に、階段の踊り場は結構人が行き来すると思うんですけど……。
 
 
 
 
或るTHSCの日常。2
 
 
 
 
あかり「あの……どうかしたんですか?」
 
沢登「西くん……僕は、大切なことを君に伝え忘れていたのだよ」
 
あかり「た、大切なこと……?」
 
沢登「そう」
 
あかり(なんだろう……私、何かまたやったっけ……)
 
沢登「……今日の放課後、風紀の集まりがあるのだ。だから、きちんと来るように」
 
あかり「あ、はい」
 
沢登「以上だ」
 
あかり「い、以上ですか?! えッ!? あの、大切なことって??」
 
沢登「風紀の集まり以上に大切なことがあるのかね?」
 
 
 
『え? あるのなら言ってみたまえ』
 
そういいながら、沢登先輩はいつもの如く、必要以上に近づいて来る。
 
 
 
あかり「あ、いや……その」
 
沢登「……ふふん?」
 
あかり「な、なんですか……?」
 
沢登「……大方君の事だから、
 そんな短い用件を伝えるためだけに外に呼び出すな、とでも思ってたのだろう?」
 
あかり「あ、あはは! そんな、滅相もッ!!」
 
沢登「……当たりか。君は期待を裏切らない人だね、全く」
 
 
 
やれやれ……と、私に聞こえるくらいの大げさなため息を吐きつつ、沢登先輩は前髪を掻きあげた。
女装さえしてなかったら、もっと絵になったんだろうなぁ……。
なんて、失礼なことを考えつつも、ついつい見とれてしまっている自分がいる。
 
 
 
沢登「それとも……僕とこうして会えることの方が、大事だとでも言ってくれるのかい?」
 
あかり「え……?」
 
 
 
まっすぐ私を見つめるその目は、何故か“いつも”の雰囲気とは違っている。
 
 
 
沢登「……まあ、そんなことを君に望むのは無理か」
 
 
 
再びため息を吐き、腕組みをすると、先輩は階段の手すりにもたれかかる。
本当、顔だけはいいからそういう仕草もまた絵になったりしてしまう。
 
女装だけど。
 
 
 
沢登「なあ、西くん。……君は本当に僕のことが好きなのかい?」
 
あかり「……え……?」
 
 
 
ぼんやり先輩を見ていた私はその急な問いかけに対し、
かなり間抜けな返答をしてしまった。
 
 
 
沢登「これだものな……いつも思うのだが、僕は一体誰と恋愛をしているのだろうね……」
 
あかり「……そ、そんな……私だってちゃんと考えてます」
 
沢登「ほう? 何を?」
 
あかり「えっ、えっと……その……」
 
沢登「ふふ……顔が真っ赤だよ」
 
あかり「ぅ……」
 
 
 
沢登先輩が、意味もなく私の教室に来てくれる。
その理由は、きちんとわかっている。
 
だけど、会いに来てくれて嬉しい、という一言を言うのに、
まだためらいも恥じらいも抵抗も残る。
 
ちゃんと声に出して言わないと、伝わらないのは分かってるんだけど……。
 
 
 
沢登「……さあ、その続きを言いたまえ。委員長命令だ」
 
 
 
そんな私の葛藤を、知っているのか知らないのか。
 
 
 
あかり「……ち、近いです……」
 
沢登「ん? 声が小さくてよく聞こえないな? ……このくらいだったら聞こえるかな?」
 
 
 
徐々にその長い足で、距離を縮める沢登先輩。
 
 
 
あかり「い、言います! 言いますから離れてくださいッ!」
 
 
 
必要以上に近づいてくる沢登先輩に圧され、私はやっと覚悟を決める。
 
 
 
あかり「その……」
 
沢登「……その?」
 
あかり「あの、先輩がわざわざ私に会いに来てくれて……」
 
沢登「……なあ西くん、何故目線を逸らすんだい? 
  心にやましいことがないのなら僕の目を見て言いたまえ」
 
あかり「……うぁ……ッ」
 
 
 
う、思わず変な声を出してしまった。
 
 
 
逃げ出そうにも階段の踊り場。
隅の方まで追いやられて、私の後ろには壁しかない。
 
 
わたわたと手足をばたつかせていると、沢登先輩がゆっくりと手をこちらに伸ばしてくる。
最初は髪の毛、次に耳。
 
 
その手は踊るように、滑るようにゆっくりと私という線をなぞる。
 
 
えーと……なんだろう、この状態は……。
 
 
 
あかり『あ、分かった。ホールドアップだった気がする』
 
ふみ『気がするかよ……』
 
あかり『え、違うの?』
 
ふみ『ちなみに、ホールドアップは【強盗】や【手を上げる】という意味です。
  ねぇちゃん。今、どういう気持ち?』
 
あかり『え? 身動きがとれない』
 
ふみ『ああ……お手上げ状態ってことか? てか、それ気持ちじゃねぇよ』
 
あかり『……あ、本当だ』
 
ふみ『……つーか、無理に横文字使ったりしてるところがなんか腹立つ』
 
あかり『それは私の所為?』
 
 
 
……とか心の声と会話している場合ではなかった!
恥ずかしすぎで、息を止めてしまったらしく、いるはずのない人物の声を聞いてしまった。
 
 
 
危ない私。
 
 
 
あかり「さささささ、沢登先輩ッ!!!!?」
 
沢登「ん? なんだい?」
 
あかり「……は、放してくださ……」
 
沢登「君がさっきの続きを言えば、放してやろう」
 
あかり「さ、さっき? 何か話してましたっけ?」
 
沢登「……君は、たった今話してたことも忘れてしまうのかい?」
 
あかり(ぅッ)
 
沢登「…………」
 
あかり「す、すみません……」
 
沢登「ふッ……まあ、素直に謝ったということだけは評価してやろう」
 
 
 
口の端を器用に片方だけ吊り上げて笑いながら、
沢登先輩は私の顎に人差し指を添えてくいっと上向けにする。
 
 
 
沢登「しかし、お仕置きは必要だな。さあ、何がいいかな……僕の可愛い子犬ちゃん?」
 
あかり「な、何ですか、子犬って……」
 
沢登「僕の目の前に居る、綺麗な瞳をした可愛い子犬ちゃんさ」
 
あかり「なッ! も、もう……謝りますからかわないで下さい……」
 
沢登「……からかってなどいないよ。僕は君に会いたくてわざわざここまできているって言うのに、君のそのつれない態度が悪いのではないか」
 
あかり「私も……毎日こうして沢登先輩に会えるのは嬉しいですけど……」
 
沢登「……やっと本音を言ってくれたね?」
 
 
 
やわらかく微笑んだ沢登先輩に、鼻先にちゅっと音を立ててキスをされて、びっくりして思わず鼻を覆ってしまった。
 
 
 
沢登「なんだい、その失礼な行動は……」
 
あかり「きゅ、急にそんなことされたら誰だって驚きますッ! そ、それにここ学校なんですよッ?!」
 
沢登「ああ、それが?」
 
あかり「それがって……沢登先輩、変です……」
 
沢登「誰が変態だ」
 
あかり「そ、そんなこと言ってませんよ」
 
沢登「いいじゃないか。可愛い可愛い君を他の奴らに取られないように……これは牽制さ」
 
あかり「私が欲しいなんて人、誰もいませんよ……
 それに沢登先輩に立ち向かおうとする人間なんて絶対いません……」
 
 
 
私の台詞にふっと優しく笑った沢登先輩は、急に身を引いた。
 
 
 
沢登「……さて、僕はそろそろ行くことにする。では、くれぐれもクッシーにも伝えておくように」
 
あかり「はい……」
 
沢登「返事は元気よく」
 
あかり「はいッ!」
 
沢登「よろしい」
 
じゃあ、教室まで送ろう。
そういうと、沢登先輩はくるっと向きを変え降りてきた階段を再び上り始めた。
 
 
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